長いです。
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私は逃げている。
あの女達から。
私が弄んだ女達。
……いや、弄んだことなどない。
ただ一人を愛することが出来なかっただけだ。
皆が私を必要としていた。
だから私も、皆の私になっただけだ。
「もう、逃がさないわよ」
今まで聞いたことのない程に低く、怒りにみちた声がすぐ近くで響いた。
裕也は、声を上げそうになるのを必死に抑え怯えたように息を潜める。
「早く! 早く出てきなさいよ! 卑怯者!! 」
女は裕也の居場所には気づいていないようだった。彼女は、裕也が愛した三人のうちの一人である。
まっすぐに伸びた艶やかな黒髪をもった美しい女だ。
ただ、同時に激しい気性を持ち合わせていた。
いつだったか、裕也がうっかり彼女のマグカップを割ってしまった事がある。
友達からの誕生日プレゼントだったのにと大声で泣きわめく彼女に
せめてもの償いをと、新しいマグカップを差し出したところ、
そのマグカップでしたたかに頭を殴られた事があった。
幸か不幸かマグカップは無事だったものの、裕也はあまりの衝撃に気を失った。
目覚めた時には、女はいつもの女に戻り、泣きながら謝っていた。
「ごめんなさい。私、いつもこんなだから、私の周りから皆いなくなっちゃうの……。
裕也さんにまでいなくなったら、私……」
そう言いながら裕也の頭に冷えたタオルをのせる。
ごめんなさい、ごめんなさいと謝りながら、私から離れないでと懇願した。
こうした事が何度かあったが、事の後には決まって泣きながら謝り、
甲斐甲斐しく裕也の手当てをする女。
次第に裕也の中に彼女の弱さを受け入れることは
自分だけなのではないかと言う気持ちが芽生えた。
その時から裕也は彼女を愛するようになった。
「ちょっとあんた! こっちみたの?」
さっきとは別の女の声が響く。 次第に大きくなってくる女の足音に、
裕也は隠れ続けるのを諦め走り出した。
「あっ!! 待ちなさい!!」
女の叫び声が耳に残った。
彼女は裕也のアルバイト先でパートタイマーとして働いていた。
親子ほど歳が離れている裕也に何かと世話をやき、家を訪れては料理をしたり、
掃除をしたり、だらしなく広げられたままの汚れ物をみて裕也に軽く小言を言った。
そんな彼女に裕也は別段好意を抱いたわけではなく、
母親の様な人だなと漠然とした感想を持った。
ある日、彼女がバイト先の店長に激しく怒られているのをみた。
彼女は仕事が出来る方ではなかったので別段珍しい事でもなかったが……。
その日の夜、裕也の家を訪ね彼女は、いつも以上に世話をやいた。
裕也はその時気付いた。
彼女は、母の様な人なのではなく、母の様な人物を演じることによって、
だらしない裕也の世話をやくことによって必死に自尊心を保っていたのだと。
裕也の中でこの弱い女性を守ってやろうという気持ちが生まれた。
彼女がそれで救われるなら、だらしない男を演じ続けようと思った。
裕也は、走り続ける。
二人の女がキーキーと叫び声を上げながら追いかけてくる。
息がつまり始め、心臓もバクバクと早鐘を打つ。
もう走るのを止めようかとも思うが、数十分前に起こった修羅場を思い出す。
ファミリーレストランの一角で、
一人の女は狂ったように泣き叫びながら
手当たり次第に裕也に物を投げつけた。
一人の女はコップを叩きわり
鋭いかけらの一つを拾い上げ自分の手首に押し当てながら、
裕也がこんな事をしたのは私の責任だと喚いた。
裕也は、騒ぎを聞きつけ彼女たちをなだめようとする
店員達のパニックを利用しようやく逃げ出したものの、
それに対し女はさらに怒り狂った。
裕也は、自分で捲いた種だとはいえ、この状況に恐怖していた。
「所詮は、男と女だもんな」
裕也は息を整えながら壁にもたれた。ふと、気づく。
二人の感情的な女に気を取られていたせいか、
あのファミレスの騒ぎの時、もう一人の女はどうしていたのか思い出せないのだ。
「もう逃げられないわよ、裕也君」
もたれた壁のすぐ横にあった扉が開いた。
「うわぁ!」
裕也はすぐ近くのドアを凝視しながら叫び声をあげた。
「ちょ・・・ちょっと!! 静かにしてよ!
あの人達近くにいるから気付かれちゃうでしょ! 早くこっち!
捕まったら何されるかわかんないじゃない」
裕也はポカンと口をあける。
「あんたが、あたしの店の方に逃げてきてくれて良かったよ。早くはいって」
女は笑みを浮かべながら手招きをする。
「お…前は、怒ってないのか?」
おそるおそる尋ねる裕也に女はケラケラ笑いながら答えた。
「そりゃ怒ってるわよ。でも、あの様子の二人みちゃ、ほっとけないでしょ。
あんたも三股するんなら相手を選びなさい」
裕也は、困惑と安堵が入り混じったような顔をした。
「さっ早くはいって。あの二人に見つかったらあたしもただじゃ済まなそうだし…」
女に招き入れられた店はヒンヤリと寒かった。
「お前の店ってこんな大きいレストランだったんだな」
「んーまあね。しがない雇われ店長だけど……」
女はこっちこっちと誘導する。
「さっきはビックリしたわよ。あんたもすっごいのと付き合ったわね」
女は大きな扉の前で立ち止まった。
裕也も隣に立ちあぁ、とバツがわるそうに答えた。
「おかしいってのは、わかるんだけど、
どうしてもほっとけないって考えちゃうんだよな。
でも、やってる事は最低だよ。本当に悪かったと思う」
「そんなに謝んなくていいよ。ってか、あたしもほっとけない感じだった?」
「いや…お前の事はほっとけないからとかじゃなくて、
普通の女の子だから好きなんだと思う。
こんな事に巻き込んでごめん。二人が落ち着いたら
ちゃんと説明するし、お前に絶対危害が加わらないようにするから」
「そりゃ、本人目の前にしておかしいとは言えないわよね」
「いや、本当にお前はふつうの……」
女は素早く扉をあけると、裕也を突き飛ばした。
裕也は踏みとどまろうとしたものの、よろめき扉の中に尻餅をついた。
その瞬間、大きな音を立てて扉は閉じられた。
「お、おい!」
ガンガンと扉を叩く。
「私ね、ファミレスでどうしてたと思う?」
女が今までとは違った調子で話はじめる。
「あたしさ、裕也君が優しいの知ってたから
困ってる人助けたいの知ってたからさ、
本当はあたし以外の女の所に行ってたの知ってたんだよね。
でもね、やっぱりダメ。やっぱりあたしだけの裕也君じゃなきゃダメ。
あんな下品な女にあんたの事取られたのかと思ったら、悔しくってさ、
ずっと手握り締めてたの。裕也君気付いてた?」
「おい! あけろよ!!」
女は裕也の声が聞こえないかのように言葉を続ける。
「そこね、今は仕入れの関係で倉庫として使ってるけど、元は冷凍庫だったのよね。
そこでゆっくり、あたしだけの裕也君になってね」
裕也は狂ったように扉を叩き女の名を呼び続けたが、扉が開くことはなかった。
何時間経ったのだろう。女は扉を開けた。裕也はすでに冷たくなり、
その体は霜で真っ白に覆われていた。
「裕也君周りだけ雪が積もったみたいですっごくロマンチックよ。
あんた去年行ったスキーの事覚えてるよね?あの時の事おもいだしちゃうわ。」
女は内緒話をするように裕也の耳に口を近づける。
「これからね、裕也君と私、一つになるの。心配しなくて平気よ。
あたし仕事柄、料理は上手だから、あなたの体満遍なく使ってあげる。
そうして残った骨は漂白して
あの時の雪みたいに綺麗になったらいつまでも宝物にするって約束するわ」
女はしばらく裕也相手にお喋りを続けたが、
やがて満足したのか立ち上がり手際よく料理を始めた。
白い雪とおしゃべり 了