わたくし、本日21歳になりまして順調に大人の階段をのぼっております。歳をとるということ自体はあまりうれしいことではなくなってきましたが、いくつになっても人から祝っていただくのは嬉しいことです。
祝ってくれた方々に頭を下げ、祝ってくれているのかどうかいまいちわからない方々にも一応頭を下げ、私の誕生日なんかすっかり忘れてる(仲の良い友人)、もしくは知らない方々(犬、電柱など)にも頭を下げる一日でした。
こうして書くと私は礼儀正しく、謙虚な人間に見えるかと思いますが、その通りです。
しかし、今まで生きていた中でそのような正当な評価を受けることは少なく、卑屈である、礼儀を知らない、デブだ、短足だなどといった不当な評価ばかりです。これではいけないと、奮起一番ちょっと態度を改めようと思いまして、道行く人にお辞儀と挨拶を繰り返し、あまつさえ、ポケットティッシュまで配る有様。しかも時給800円。
とまぁ、一日中頭を下げすぎて自分はダンシングフラワーなんじゃないか、友人のHさんの前世は赤ベコなんじゃないかと思うわけですよ。このHさん、女性の方なんですが恰幅もよく大変良い方なんですが、どことなく牛に似ていらっしゃる。本当に彼女をみていると牛を彷彿させる。そんな彼女が「おいしい、おいしい」と焼き肉定食を食べているところを見ていると、自分が今までどれだけ母や父に迷惑をかけたのか、どれだけの骨肉を削る思いをして私をここまで育ててくれたのか、さすがの私も親、兄弟、親族を食べたりしないぞ!!と思うこと多く、ほろりと涙が出そうになります。
しかし、私も大人になっているわけですから人前で涙を流すわけにはいきません。事実、最近私が涙を流したのは、またごうとしたガードレールに脛をしたたかに打ち付けた時だけです。アレは、痛かった。
ところで、話をもどしますが、このHさんの食べる焼き肉定食は実にうまそうな臭いを放っているわけですよ。
で、私とHさんはなかなか親しい友人でもあり、しかも今日は私の誕生日なわけです。ここまでそろったら私の口からでる言葉は一つな訳です。
ウメ「それちょっt「やだ」
もうね、なんなのかと。日々謙虚に礼儀正しく生きている私に、肉の一切れさえ恵んでくれない。そういえば、この前こいつの一口ちょうだいでスパゲッティの1/3が減ったことがあったぞとか色々思い出すわけですよ。
ちょっと、お前おもてへでろと、行ってやりたいんですけど牛相手に勝てるわけがない。しかも相手は、親兄弟まで食べつくす肉食の牛です。もう牛だか、バッファローだかゾウガメだかわかったもんじゃないです。
そんな相手とバトルして命を終えるのもアホらしいので、私もお昼を買おうとおもいましてね。いざ売り場を見るんですが、普段昼ご飯を食べないもんですから、食欲はないわけですよ。
どうしたものかとウロウロしていたところ、ケーキが一切れ売ってるんですよ。「チーズケーキ!!君に決めた!!」的ノリで席に戻ったのはいいんですが、なんて言うか生理的現象がおこりましてね、ほんの数分席をあけたわけですよ。で、まぁ爽やかに席に戻った私の目には今其処にあったはずのチーズケーキの薄さが1/2になってるんですよね。んで、ちょっと目線をずらすと満足気な牛がいるんですよ。おい、この牛はケーキまで食うのかと、それでばれないと思っているのかと激情に狂わされそうになりましたが、しかし、人は支え合って生きています。このHさんもいつか私に焼き肉定食を分けてくれるかもしれません。私は黙って残りのケーキを食べることにしました。(隙あらば私まで食うんじゃないかと恐怖で声がでなくなったことも事実です。
「与えなさい。痛みを感じるまでは」と説いたのはマザー・テレサですが、このようなことから、私はマザー・テレサなのではないかと最近思う次第でございます。